フランスのファッションは特権階級を相手にしたビジネスでなりたっているが、イタリアは実用性重視、経済的、文化的にも、社会的状況を考えたファッションのクリエイティブだ。だから、極端に高価なものは市場で受け入れられない。さらに企画・品質、サービスの面で、差別化できないものは市場から撤退を余儀なくされる。このようにイタリアのファッションを取巻く環境も厳しくないはずがない。しかしこうした厳しい状況の中でも生き残り、世界へ進む企業があるということなのである。日本とイタリアの違いは、どうやら個性・差別化にあるようだ。そうしたものを生み出す土壌は芸術的感性や独特な技術に帰されるものではなく、むしろ企業が消費者ニーズを捉えていも早く対応した素材の組合せ、色出する生産技術に密着した地道なイノベーションによるところが大きいとされる。イタリアは日本と同じく中小企業が多いことは先にも述べた。工程も分断的であり、各工程ごとリスク管理をする。ここが日本と本質的に違うところである。
既存店売上高が六七%増と高い伸び率を示したことに加えて、半年間で店舗を五三店増したことも寄与していた。人気の最大の理由である低価格の商品供給を可能にする中国での徹底した低コスト生産体制を確立したこと。安い労働力が追風になり、生産品目をジーンズやフリース、Tシャツなどに限定して大量生産したことによる。原糸などの素材も品目を絞っているのでコスト削減が強化できたなど、さまざまな要因が加わり、総利益率も四九%とスーパーのイオン(二九%)、しまむら(二八%)を二〇ポイント上回る好決算だった。加えて、二〇〇一年八月期の決算によるとフリースが爆発的なヒットで、本業のもうけを示す営業利益は前期比一・六八倍の一〇二〇億円に達した。この利益は、国内小売業首位のセブンイレブン(一四五五億円)に次ぐ規模となり、一三期連続の増収増益を果した。フリースは、昨冬だけで約二五〇〇万枚売り春以降も拡大し、加えて店舗も増し五二〇店となったことが幸いしていた。
「普段着」の対比語は「よそゆき」で、「外出用の衣服類」(前掲辞書)だ。その意味では、「普段着」は、自宅かその周辺で身につける衣類であろう。西洋のように、自宅でもジャケットとタイを身につける習慣があれば、カジュアルウェアを普段着としてもいいかもしれないが、日本の場合はいささか事情が異なる。私は、高層アパートに住み、下のスーパーにしばしば買物に出向く。時期は夏で、住人の普段着はTシャツに短パン、ゴム草履など、きわめて乱雑なスタイルだ。中には下着のランニングやステテコ姿という、勇気ある人も見かける。「毎日普段着」であれば、極端なことをいえば、ランニング姿で出勤していいことになってしまう。カジュアルウェアは、「普段着」という要素は含むが、決して特定はできず、この場合、表現するなら「(それぞれの自立性に基づいた)自由なスタイル」であろう。カジュアルウェアという言葉に捉われるため、「普段着」という訳が出てきてしまうのだ。ウェアではなくスタイルなのだ。カジュアルウェアは衣類そのもので、人の態ではない。ウェアを身につけ、初めてスタイルになる。スタイルは「格好」で、そうであれば「自由な格好」になる。